読んでいると時々ゾッとする。
この感覚に一度はぶつかります。
絵柄のかわいさと、描かれている中身との落差が大きいからです。
ちいかわの世界は、労働と討伐でできている
まず、作中で確認できる事実から整理します。
ちいかわたちの毎日は、思っているよりずっと現実的な仕組みで回っているんです。
- 草むしりや討伐という仕事があり、働いて報酬を受け取っている
- 草むしり検定のような資格試験があり、合格すると受けられる仕事が増える
- 討伐の相手は、明確に危険な存在として描かれる
- キメラ化という、姿が変わってしまう現象が実際に起きる
- 鎧さんやモモンガなど、正体や過去が明かされていない人が何人もいる
ここに並べたものは、作中で確認できる設定です。
資格を取り、労働で稼ぎ、危険と隣り合わせで生きる。
ちいかわの日常は、かなりシビアな社会の上に成り立っています。
討伐にしても、やりたい人がやる趣味の活動ではありません。
装備が要り、実力が要り、うまくいかなければ痛い思いをする仕事です。
それでも、ちいかわたちは翌日また働きに出るんです!
生活があるからです。ここが、いわゆるファンタジーの冒険とは決定的に違うところ。
しかも、この設定は物語の途中で急に出てきたものではありません。
初期のころから、草むしりも討伐も普通の日常として描かれてきました。
つまり、こわい要素はあとから付け足された味付けではないんですよね。
怖さの正体は、見た目と中身の落差
では、なぜ同じ内容でも「こわい」と言われるのでしょうか。
ここからは私の考えになりますが、鍵は読者側の予測にあると考えています。
ちいかわのイラストを見た瞬間、読み手は無意識に「安全な話だ」と気をゆるめます。
ところが実際に読み進めると、そこにあるのは労働です。
危険な討伐であり、姿が変わってしまう現象であり、正体の知れない存在。
予測していたものと、目の前にあるものが合いません。
それはもう、こわいというより社会派のドラマになります。
この、予測が裏切られる瞬間。
それが「こわい」という言葉になって出てくるのだと思うんです。
かわいい絵だから怖くないのではなく、かわいい絵だからこそ怖い。
ちいかわの不穏さは、この順番でできています。
怖い派とそこまでではない派
ちいかわが怖いかどうかは、ファンの間でもきれいに割れます。
どちらの言い分にも、作中の根拠があるからです。
怖い派の言い分は、ここまで書いてきた要素の積み重ねです。
一方で、そこまで怖くないという見方にも根拠があります。
同じ作品の中に、ちゃんと温かい時間が流れているからです。
- おいしいものを食べて、素直に喜ぶ場面が多い
- ちいかわとハチワレとうさぎが、当たり前のように助け合う
- できなかったことができるようになる、成長の話がある
- こわい展開のあとに、必ず日常が戻ってくる
ちいかわは、『こわさ』と『癒やし』の両方が同時に成り立っている作品だと考えたほうが、自然です。
いちばん怖いのは、まだ明かされていないこと
それでも、この作品には説明されていない部分が残っています。
- 鎧さんが何者で、どこから指示を受けているのか
- キメラ化がなぜ起きて、元に戻る方法があるのか
- モモンガやあのこの正体が、どこまで作中で明かされるのか
どれも公式には確定していません。
この「まだわかっていない」という状態そのものが、いちばんこわい部分かもしれません。
あわせて読みたい|怖さの中身を追いかける記事
この記事では、こわさの正体を作品全体の構造として整理しました。
個別の謎については、それぞれの記事で根拠から追いかけています。
- キメラ化現象を考察:姿が変わる現象そのものを追いたい人へ
- あのこ(キメラ)の正体とは:正体不明のこわさが、いちばん濃い記事
- 鎧さんの正体とは?中身や役割を考察:討伐の指示はどこから来ているのか
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