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映画ちいかわED曲「机さする」歌詞考察|くつずれと続く物語

2026年7月27日

※この記事には、映画『ちいかわ 人魚の島のひみつ』の結末に触れる内容が含まれます。

エンドロールで流れ始める「机さする」に、セイレーンも人魚も出てきません。
歌われるのは、机や花瓶、眠れない夜といった小さな日常です。

それでも聴いていると、島から帰ったちいかわの姿が浮かびます。

私なりの結論を先に書きます。
誰にも話せないものを抱えたまま、いつもの生活へ戻ろうとするちいかわの歌として読めます。

オープニングテーマ「くつずれ」と並べると、聴こえ方がさらに変わります。

ハチワレからちいかわへ、ちいかわからハチワレへ。
2人が返し合った歌のようにも聴こえるんです。

「机さする」を歌っているのは誰?

「机さする」は、映画『ちいかわ 人魚の島のひみつ』のエンディングテーマです。

歌っているのは、ちいかわ役の青木遥さん。
作詞はナガノさん、作曲はトクマルシューゴさんが担当しています。

一方、オープニングの「くつずれ」はハチワレ(CV.田中誠人)名義。
こちらは劇中でハチワレが歌う曲という扱いです。

ところが「机さする」のクレジットは、キャラクター名ではなく声優さんのお名前だけ。
名義がちいかわ本人の劇中歌という形ではないからこそ、
作中で言葉にされなかった、ちいかわの心の中をのぞくような曲になっています。

「これはちいかわの気持ちです」と答えを出さないからこそ、
聴いた人それぞれの読み方が残されています。

この曲を解釈するために、まずはオープニングの「くつずれ」から見ていきます。

「くつずれ」は、ハチワレが見つめたちいかわ

「くつずれ」を歌っているのはハチワレです。

ただ、原作漫画を思い出すと、くつずれを起こして足を痛めていたのは、
ハチワレではなくちいかわでした。

ハチワレが自分の痛みを歌っているのではなく、
くつずれを起こしたちいかわを見ながら歌っている。そんな読み方ができます。

痛いけれど、ちいかわは歩いている。前を向こうとしている。でも、やっぱり痛そうです。

その姿を横で見ているハチワレが、ちいかわの気持ちを代わりに歌にした。
「くつずれ」はハチワレの歌でありながら、ちいかわについて歌った曲なのかもしれません。

この曲には、もう一つ驚いた話があります。
ナガノさんが2018年4月6日に投稿した、くまのイラストです。

くつずれで足が痛くても、前を向いて歩いていく。

そんな言葉が、3コマの絵の中に書かれています。

まさに「くつずれ」の歌詞です!

ちいかわの連載が始まるより前の投稿です。
つまりこの言葉は、映画のために書き下ろされたものではありません。

8年前からナガノさんの中にあった言葉が、映画の主題歌になったんです。

くつずれ

引用元:https://x.com/ngntrtr/status/982213690383462401

ちいかわの弱さを、ハチワレは隠さない

ハチワレは、見たことや感じたことを言葉にするのが得意です。
うれしいときも、怖いときも、状況を声に出します。

一方のちいかわは、気持ちを長い言葉では説明しません。
だからこそ、ハチワレが代わりに言葉にしてくれる場面があります。

ハチワレは、痛みをなかったことにはしません。
前向きに歩こうとしても、痛いものは痛い。目だって少し潤んでしまう。

ちいかわの弱さを隠さず、そのまま歌にしているんです!

「机さする」は、ちいかわからの返事

そう考えると、エンディングの「机さする」は、まったく反対側から聴こえてくるんです!

「くつずれ」がハチワレから見たちいかわの歌なら、
「机さする」はちいかわの側から見たハチワレとの歌です。

だからこそ「机さする」は、作中で言葉にされなかった、
ちいかわの心の中をのぞくような曲になっています。

もちろん、曲の視点が公式に明言されているわけではありません。
ここからは、映画の結末と歌のイメージを重ねた考察です。

ハチワレにさえ話せないことができた

島で、ちいかわはヒトハとフタバの秘密に気付きました。
でも、ハチワレには話しませんでした。

ちいかわとハチワレは、怖い目に遭ったことも、うれしかったことも共有してきた2人です。
そんなハチワレにさえ、今回は言えない。

話せば少し楽になったかもしれません。
ハチワレなら、きっと真剣に聞いてくれる人でしょう。

それでも、ちいかわは黙って島を離れました。

ヒトハとフタバの秘密を暴かないためなのか。
これ以上、誰かが傷つかないようにしたかったのか。

そこまでは映画で明かされていません。
確かなのは、ちいかわが一人で持ち帰ったものがあるということです。

「くつずれ」は写真、「机さする」は文字

「くつずれ」では、ハチワレが写真を見返します。
カメラを使って、楽しかったことをどんどん形に残していくんです!

昨日の空。食べたもの。友達と過ごした時間。
よく覚えていなくても、写真を見れば思い出せます。

でも、ちいかわが島で知ったことは写真に写りません。

秘密に気付いた瞬間の怖さ。
誰にも言わないと決めた重さ。
自分の選択が正しかったのかわからない迷い。

そういうものは、カメラを向けても残せません。
だから「机さする」では、書いて残そうとします。

「書き残す」のは、記憶を失う未来が怖いから?

「くつずれ」は写真で思い出を残す歌。
「机さする」は言葉で記憶を残そうとする歌。
ここまでは、そう見えてきました。

ただ、ちいかわの世界で忘れるという言葉を考えると、
もう一つ不穏な可能性が浮かびます。

それが、キメラ化です。

キメラ化は、身体が大きくなったり、強くなったりするだけの変化ではありません。

元の姿や暮らしに戻れなくなり、
それまでの自分が失われてしまうかもしれない変化として描かれています。

もし、ハチワレがキメラ化してしまったら。
もし、そのあとで、ちいかわ自身までキメラ化してしまったら。

2人で過ごした時間を覚えている人が、誰もいなくなってしまうかもしれません。

だから、写真に残す。
文字にして書き残す。

いつか思い出せなくなったとしても、
キメラではなかった自分たちが一緒に暮らしていた事実だけは、残しておきたい。

そんな切実さが、「机さする」の日常的な言葉の奥に隠れているようにも聴こえます。

もちろん、映画の中でハチワレやちいかわが実際にキメラ化したわけではありません。

机をさするしかできない

「机さする」という題名そのものも、キメラ化と重ねると違って見えます。

本当は、鉛筆を持って、忘れたくないことを書き残したい。

けれど、身体が変わり、以前のように物を持ったり、文字を書いたりできなくなっている。
だから、目の前の机をさすることしかできない。

歌詞の中で、実際に誰かがキメラ化しているとは示されていません。

それでも、書き残したいのにまだ書けていないという状態。
これを、身体が変わって書けなくなった姿として読むと、題名の意味が急に重くなります。

机に向かいながら、文字を書くのではなく、ただ表面をさすっている。

そこには、記憶はあっても記録できない、あるいは記憶そのものが消えかけている人の姿も重なります。

ハチワレの「強くなりたい」という願い

ハチワレは、もっと強くなりたいと願う人物です。
討伐で失敗したり、自分の力不足を感じたりしながら、それでも前に進もうとします。

だから「強くなれる変化」が目の前に現れたとき、
キメラ化に近づいてしまう可能性を想像させるキャラでもあります。

ハチワレが「強くなれるかもしれない」と考える変化を、
ちいかわは「ハチワレではなくなってしまうかもしれない」と受け取る。

この対照を置くと、「机さする」は、
キメラ化していくハチワレを止められなかったちいかわの歌としても聞こえてきます。

友達が変わってしまう。
自分も、いつか変わってしまうかもしれない。

それならせめて、変わる前に、一緒にいた証拠を残しておきたい。

写真も、文字も、花瓶も、そのために必要だったのかもしれません。

すでにある花瓶を、なぜまた買うのか

映画に花瓶は一度も出てきません。
それなのに、いつか買って飾ろうという約束の対象として歌われます。

思い出すのは、ほめられリボンです。

ただ、その花瓶ならハチワレの部屋にもうあります。
それなのに、なぜいつか買おうと歌うのでしょうか。

手がかりは、飾ろうねという呼びかけのほうにありそうです。

相手に向かって飾ろうねと言うのだから、これは2人で飾る花瓶です。
自分の家にひとつ置いておく、という話ではありません。

そして2人で飾る花瓶といえば、あの花瓶しかない。

それをまた買おうと言うなら、答えは一つ。
あの花瓶は、もう手元にないということになります。

買うという言葉が出た時点で、失われたことが前提になっているんです。

歌詞には、何を飾るのかが書かれていません。
それも、花瓶がもう無いからだと考えると筋が通ります。

花瓶と一緒に、そこへ結ばれていたものも失われたのかもしれません。
飾るものは、これから作る。そういう順番の約束です。

部屋ごと失ったのか、戻れない場所に置いてきたのか。
そこは想像するしかありません。

失ったあとにもう一度買う花瓶。
そう読むと、この一行はかなり重たく響いてきます。

気になる方は、ほめられリボンの回もどうぞ。

「ひとりごつ」「くつずれ」「机さする」は続いている?

ここまで振り返ると、3曲も一つの流れとして見えてきます。

「ひとりごつ」は、一人で暮らすハチワレの日常を歌った曲です。
そこにあるのは、質素だけれどハチワレ自身の言葉と生活。

「くつずれ」では、その視線が友達へ向かいます。
痛みながら歩くちいかわを見つめ、写真で一緒の時間を残そうとします。

そして「机さする」では、ちいかわは、その思い出を、さらに文字として残そうとする。

しかし、キメラ化という未来を重ねるなら。
最後には文字を書くことさえできず、机をさするだけになってしまったのかもしれません。

「ひとりごつ」から「くつずれ」、そして「机さする」へ。

変わる前の2人を残す歌

「くつずれ」と「机さする」を並べると、ハチワレとちいかわが、お互いを見ながら歌っているように聞こえます。
さらにキメラ化の可能性を重ねると、それは単なる友情の歌ではありません。

友達が変わってしまう前に。
自分も変わってしまう前に。

2人がまだ、ちいかわとハチワレだった時間を残しておこうとする歌です。

写真に残っている景色。
書き残そうとした言葉。
花瓶に結ばれたリボン。

もちろん、キメラ化は公式に示された結末ではありません。

「ひとりごつ」で自分の暮らしを歌い、「くつずれ」で友達を見つめ、
「机さする」で2人の記憶を残そうとする。

この3曲は別々の歌ではなく、変わっていく世界の中で、
友達であり続けようとする物語なのではないでしょうか。

あなたなりの解釈も考えてみてください。

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